福島第一原発事故・メルトダウン

2011年12月18日のNHKスペシャルでは、「シリーズ原発危機・メルトダウン」を放送していました。原発事故の起きた経過が、今詳しくわかって来たそうです。

どのようにしてメルトダウンに進んでしまったのか検証し、事故の原因を明らかにすることはとても大切だと思いました。

地震と津波による被害

2011年3月11日、福島第一原発の中央制御室では当直長と11人が通常通り原発の運転業務を行っていました。午後2時46分、地震が発生しました。

中央制御室のすぐ隣にある原子炉は地震を感知した瞬間、核分裂反応を止めるスクラムと呼ばれる操作が自動で始まり、わずか2秒で核燃料の間に制御棒が挿入されました。

ところが、地震によって原発の操作に必要な外からの電力の供給が途絶えました。運転員たちはマニュアルに従って原子炉を冷やす作業に入ります。原子炉を止めた後も、核燃料は膨大な熱を出し続けるため冷やす必要があります。

1号機には多くの冷却装置が備えられています。その一つである非常用復水器(イソコン)が自動で起動しました。イソコンは運転員のほとんどが使ったことのないものでした。

電源喪失しコントロール不可に

原発を襲った津波の第一波は、防波堤のない南東方面から来ました。地震発生から51分後の第二波は、10mを超す波でした。想定されていた津波は3mでしたので、ひとたまりもありません。

1号機のシャッターには、津波の水圧で50トンを超す力が加わり壊れてしまいました。津波の海水は、発電機を壊し、地下へと流れ込みました。

地下には、最後の命綱でもあったバッテリー楽天 がありましたが、これも水没し使えなくなりました。そして、全電源喪失という事態に陥ってしまいました。

非常灯以外はつかず、30個の懐中電灯で灯りをとる状態だったそうです。

3ヶ月かけてメルトダウンまでのシュミレーション

原発の専門家が集まって、メルトダウンまでのシュミレーションをしたものです。

15時42分
全電源喪失し、原子炉の監視ができない状態に陥りました。何もできない、コントロールできない状態でした。
電源喪失後1時間15分後
水位が燃料棒の上位まで下がってしまいました。メルトダウンへと向かって行きました。
電源喪失後4時間35分後
燃料棒が露出し、空焚きの状態になりました。深夜にはメルトダウンが始まっていました。これは、専門家も想像していませんでした。「水位の下がりが早すぎた」「冷却水が無くなった時点から、炉心がどうなるか未知の世界」と言っています。
電源喪失後10時間37分後
燃料が原子炉を突き破り、格納容器の底に溜まっていきました。メルトスルーの状態です。

非常用復水器(イソコン)の使い方、取り扱いに不備あり

1号機の原子炉建屋の4階には、非常用復水器(イソコン)が設置してありました。この非常用復水器(イソコン)は、電源が無くても原子炉を冷やすことができます。

メルトダウンを防ぐ非常用復水器(イソコン)は、全ての電源を失った時には、弁が自動的に閉まります。だから、手動でハンドルを回して使うことになっています。

アメリカのミルストン原発では、この非常用復水器(イソコン)の弁を開ける訓練が行われています。日本では、非常用復水器(イソコン)が、非常時には弁が閉まり、手動でハンドルを回して使うということが、十分に理解されていなかったと言います。

福島第一原発では、津波が来た後も、非常用復水器(イソコン)は動いているものと思っていました。

17時19分
4階へ非常用復水器(イソコン)の様子を運転員が見に行くことになり、行きましたが、扉の放射線量を測ったら高かったので、そのまま帰ったようです。
17時50分
核燃料棒の半分以上が露出しました。
18時すぎ
やっと、非常用復水器(イソコン)が止まっていることに気づきました。「一時的に弁が閉じたのではないかと思っていた」「津波の後、ずっと止まっているとは知らなかった」と、関係者は言っていました。
18時18分
非常用復水器(イソコン)が起動しました。非常用復水器(イソコン)が起動するとタンクの水が温められ放射性物質を含まない大量の蒸気が噴き出しました。その後、蒸気が見えなくなったため非常用復水器(イソコン)は停止させました。現場では非常用復水器が空焚きで壊れると思ったそうです。非常用復水器を止めたという報告は中央制御室から対策本部へ伝えられたとされています。しかし、発電所幹部はこの重要な情報を認識していませんでした。

原子炉水位計が高温になり、誤った数値を示していた

21時頃
通勤バス用のバッテリーを運び込み計器の一部を復旧します。そうすると、原子炉水位が燃料上部より上にあるという、現実の原子炉内の状態とは大きく異なる水位表示が出ました。対策本部でも1号機はまだ大丈夫という認識が広がったそうです。
全電源喪失から7時間後
全電源喪失から7時間後、運転員は水位計を疑い始めます。水を入れていない原子炉の水位計が上昇し続けたからです。運転員たちが原子炉の危険な状態を把握したのは全電源が喪失してから8時間の頃でした。バッテリーによる計器の復旧が進んで、格納容器の圧力(600kパスカル)を見た時でした。燃料は1200度で、大量の放射性物質が出ていました。1号機の異常はすぐに対策本部に伝えられました。
水位計の誤作動
水位計は、なぜ重要な所で正しい値を示さなかったのか。それは、水位計の容器が高温になって、水位が正しく測れなくなったからです。スリーマイル島の事故の折にも、水位計のために勘違いをさせられていました。そこで、日本でも非常時にも正しく表示する水位計にすべきだという意見があったそうですが、対策を取っていませんでした。
3月12日、午前1時09分
メルトダウンが始まりました。中央制御室の中でも放射線量が上がり防護服や顔全体を覆うマスクを着用しました。この時点でも原発内でメルトダウンが議論されることはありませんでした。
午後2時30分、ベント作業実施
格納容器の圧力が高くなったので、放射性物質を外に出すベント作業が始まりました。
午後3時30分
1号機の建屋上部が爆発し、原子炉から水素が漏れ出ました。1号機の中央制御室では原子炉の状態を確認するため最小限の人数が残りました。部屋全体が白い埃に覆われたそうです。「原子炉の状態がわからない。頭がおかしくなりそう。正直、自分は生きて帰れないと思った」と言っています。

2号機もメルトダウン

1号機に続き、3号機も水蒸気爆発を起こしました。そして、3月15日には2号機もメルトダウンして、今回で一番の放射性物質を放出しました。

史上最悪規模の原発事故から9ヶ月が過ぎました。未だ避難生活者は15万人を数えます。経験もマニュアルも無い中、最後まで対応に追われた作業員達ですが、イソコンの取り扱い方や緊急時に頼りにならない水位計の2つの大きな問題が浮かび上がりました。今後、原発をどうするのか、避けては通れない問題となりました。

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Author:Tomoko Ishikawa Valid HTML5 Valid CSS

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更新日:2018/06/07