東日本大震災の被害など

2011年3月11日、午後2時46分、マグニチュード9.0という、とてつもない巨大地震が東日本を襲いました。

世界最大級の巨大地震とその後の大津波でたくさんの方々が亡くなり、また大切な家、田畑、仕事を失ってしまいました。半年が過ぎた時点で被害の実態が詳しくわかってきました。また、復興へ向けてあらゆる機関が全力を上げて力を尽くしていると思います。が、被災者の方々にすると遅々として進まない状況にため息かもしれません。復興への道を着々と進んでほしいものです。

東日本大震災被害情報、2011年12月22日現在(Wikipedia等参照)

死者 1万5843人

行方不明 3469人

建物 35万戸以上(全壊・半壊を合わせて)

漁船 2万2000隻以上、 漁港 300以上、 農地 2万3600ha 

被害額 16兆~25兆円

ピーク時の避難者 40万人以上、 停電世帯 800万戸以上、 断水世帯 180万戸以上

東日本大震災の被害と復興状況

2011年9月11日の山陽新聞の特集として掲載されたものを参考にしています。

2万人が犠牲となった東日本大震災楽天 から半年が経ちました。被災地では、悲しみを胸に復興に向けてがんばっています。国の予定の仮設住宅も建設を急ぎ、約5万2千戸の9割以上が完成しました。

一時は45万人以上が体育館などの避難所に身をよせていました。3月という寒い中、北国ということもあって大変だったと思います。また、夏はエアコンもない中での猛暑の暮らしも大変でしたでしょう。

また、福島第一原発事故の収束も予定通り行くのか心配です。全国では、約8万2000人が知人宅や仮設住宅で避難生活を送っています。職を無くした被災者も多く生活再建が大きな課題です。

震災後の人口は、7月末~9月の資料となっています。比較した震災前の人口は、2月末~3月の各自治体調べによるものです。

がれき撤去率は総推計量に占める仮置き場搬入済み分の割合、9月6日現在、環境省調べとなっています。

住家被害は10日現在、警察庁調べとなっています。浸水面積は国土地理院調べとなっています

東日本大震災の家の被害と浸水面積

岩手県
全壊住家が2万199戸、半壊住家が4483戸、浸水面積(県面積比)が58平方km(0.4%)
宮城県
全壊住家が7万3261戸、半壊住家が7万9502戸、浸水面積(県面積比)が327平方km(4.8%)
福島県
全壊住家が1万7549戸、半壊住家が4万6574戸、浸水面積(県面積比)が112平方km(0.8%)

岩手県、沿岸市町村の被害と復興(半年後、2011.9) 北から南へ

洋野町
被災後の人口 1万9070人(-201人) 死者0人 不明者0人 がれき撤去率100%   名産のウニが多く陸に打ち上げられ、水産業が打撃を受けました。水産物の種苗栽培施設も被災し、稚ウニ約600万個、稚ナマコ約40万個が水槽ごと流されました。
久慈市
被災後の人口 3万7924人(-229人) 死者2人 不明者2人 がれき撤去率100%   函館市を通じて中古の漁船228隻の支援を受け6月に一部の漁業が再開しました。小袖海岸でも「北限の海女」の素潜り漁も7月が実演が始まりました。
野田村
被災後の人口 4686人(-145人) 死者38人 不明者0人 がれき撤去率100%   ホタテ、ワカメの養殖施設、「のだ塩」の製塩施設が損壊しました。防潮堤復旧が最大の課題です。
普代村
被災後の人口 3020人(-54人) 死者0人 不明者1人 がれき撤去率100%   計439人の死者が出た明治と昭和の三陸津波を教訓に建設した15.5mの水門と防潮堤が村を津波から守りました。総工費は約36億円でした。村中心部に津波は到達せず、海近くの民家も被害はなかった。
田野畑村
被災後の人口 3886人(-79人) 死者14人 不明者17人 がれき撤去率100%   ワカメ、ウニ、アワビの養殖業が大きな被害を受けました。6月に天然ワカメ漁が再開しました。北山埼のサッパ船観光も7月に復活し、断崖絶壁や狭い岩の間をすり抜け、自然美を堪能できるようになりました。
岩泉町
被災後の人口 1万1058人(-101人) 死者7人 不明者0人 がれき撤去率100%   小本浜漁協は5月末に定置網漁を再開しました。国の天然記念物で日本三大鍾乳洞の一つ「龍泉洞」は被害はなかったが、観光客は震災前に比べ約8割減りました。
宮古市
被災後の人口 5万8905人(-1219人) 死者420人 不明者122人 がれき撤去率69%   中心市街地を含む1割弱が浸水しました。「万里の長城」と呼ばれた田老地区の高さ10m、総延長2.4kmの防潮堤も倒壊しました。年間10万人も観光客が訪れるという景勝地・浄土ヶ浜の遊覧船は、3隻のうち2隻が津波にのまれましたが、7月中旬に運行が再開されました。
山田町
被災後の人口 1万7752人(-1518人) 死者601人 不明者222人 がれき撤去率88%   浸水や火災による被災戸数は約5割で、漁業は壊滅的な被害を受けました。県内最後となった避難所も8月末には閉鎖されました。
大槌町
被災後の人口 1万3803人(-2191人) 死者801人 不明者596人 がれき撤去率70%   震災で町長や多くの幹部職員が死亡し、庁舎は全壊しました。6月には副町長の任期が切れ、総務課長が町長職務を代行する異常事態になりました。8月28日に町長選が実施され、復興の舵取り役が決まりました。
釜石市
被災後の人口 3万8030人(-1966人) 死者883人 不明者208人 がれき撤去率36%   世界最深(63m)を誇った釜石港の湾口防波堤は津波で損壊しました。が、残った基礎部分を使って5年以内に再建される予定です。
大船渡市
被災後の人口 3万9481人(-1288人) 死者338人 不明者114人 がれき撤去率60%   津波でワカメ、ホタテの養殖業がおおきな被害を受けました。大船渡市は、サンマの水揚げ量でも有名です。市は、7月に土地利用方針図案を公表、9月末の復興計画策定を目指します。
陸前高田市
被災後の人口 2万1342人(-2786人) 死者1552人 不明者399人 がれき撤去率98%   市中心部が壊滅し、総世帯の半数以上の家屋が被災しました。戸羽太市長は妻を亡くしました。名勝・高田松原で7万本の中から奇跡的に助かった「奇跡の一本松」が復興のシンボルとして有名になりました。8月には復興イベントが開かれ、約1万7500人が来場しました。      

宮城県、沿岸市町村の被害と復興(半年後、2011.9) 北から南へ

気仙沼市
被災後の人口 7万561人(-3686人) 死者1013人 不明者392人 がれき撤去率68%   カツオ、サンマの水揚げが有名です。たくさんの冷凍・冷蔵設備や加工場が被災しました。沿岸部は最大で74cm地場沈下し、大潮時の冠水が問題となっています。
南三陸町
被災後の人口 1万5663人(-2003人) 死者558人 不明者343人 がれき撤去率53%   町の約7割の世帯が津波の被害を受けました。シロザケの水揚げは宮城県内一です。志津川湾のマダコは「西の明石東の志津川」と呼ばれるほど有名です。漁船の9割が流されました。9月のサケ漁解禁に向けて、魚市場の建設などの復旧を急いでいます。
石巻市
被災後の人口 15万3811人(-9011人) 死者3168人 不明者759人 がれき撤去率26%   仙台市に次ぐ宮城県第二の都市で、全国有数の港町です。魚市場、陸揚げ岸壁が津波の直撃で壊滅的な被害を受けました。魚市場は7月に仮設テントで再開しました。大川小学校では、津波で児童74人が死亡・行方不明になりましたが、石巻市の北部にあります。
女川町
被災後の人口 8686人(-1328人) 死者564人 不明者411人 がれき撤去率44%   サンマの水揚げを誇る漁港が損傷し、主力の水産業が打撃を受けました。東北電力の女川原発は震災のために運転を中止し、復旧のめどは立っていません。8月には、高台移転などの復興計画案をまとめました。
東松島市
被災後の人口 4万752人(-2390人) 死者1049人 不明者96人 がれき撤去率47%   死者・行方不明者の約半数が海岸沿いの野蒜(のびる)地区に集中しています。人口の流出を防ぐためにも、早急にJR野蒜駅の復旧が必要です。
松島町
被災後の人口 1万5372人(-5人) 死者2人 不明者0人 がれき撤去率56%   日本三景「松島」の中心地で、海岸沿いの土産物店なども浸水しました。景観や文化財への津波の影響は少ないが、震災後観光客は1/3に激減しています。観光客の呼び戻しが課題です。
利府町
被災後の人口 3万5244人(+401人) 死者47人 不明者0人 がれき撤去率34%   町の被害は比較的少なく、死者は男児1人だが、安置所(グランディ・21総合体育館・県内最大の遺体安置所だった)で身元不明の遺体は町の死者扱いとなりました。梨の特産地で10月には、体育館周辺で「梨まつり」を開催します。
塩釜市
被災後の人口 5万7133人(-204人) 死者20人 不明者1人 がれき撤去率83%   歴史のある水産都市で生鮮マグロの水揚げ量は全国2位(2009年)でした。宮城県の市では面積が最も小さく高台移転の用地確保が難航しています。
七ヶ浜町
被災後の人口 2万368人(-9人) 死者66人 不明者5人 がれき撤去率69%   町の面積の約4割が浸水しました。七ヶ浜町は、津波の被害にあった約1300世帯全てを訪問し、住宅再建などの意向を調査しました。約半数が従来の場所で再建したいと回答、約4割が町内外への転居を希望しました。
多賀城市
被災後の人口 6万1317人(-1463人) 死者188人 不明者1人 がれき撤去率28%   仙台市に隣接する工業都市です。近くの仙台塩釜港からあふれた津波に襲われ、浸水面積は約33.7%に及びました。ソニーなどが進出していた工業地帯では、撤退や規模を縮小する企業が多く、つなぎとめが急務です。
仙台市
被災後の人口 101万9002人(+2953人) 死者704人 不明者26人 がれき撤去率62%   東北で唯一の政令都市、沿岸部は津波で壊滅しました。農地は大規模な塩害が発生しました。一時10万人超が身を寄せた避難所は7月末までに閉鎖されました。復興策は減災に重点が置かれ、自然エネルギー(太陽光発電など)の導入を目指す計画もあります。
名取市
被災後の人口 7万1581人(-1648人) 死者911人 不明者73人 がれき撤去率90%   アカガイ(高値で取引される)が特産の閖上(ゆりあげ)漁港は津波で壊滅的打撃を受けました。市の産業再生の要です。仙台空港もあり、観光客を呼び込む復興構想もあります。
岩沼市
被災後の人口 4万3771人(-357人) 死者183人 不明者1人 がれき撤去率78%   食品産業が多い仙台空港南側の工業団地に大きな被害が出ました。8月7日に早々と震災復興計画を決めました。瓦礫などを沿岸部に埋め込んで整備した人口丘「千年希望の丘」で津波を抑える構想を盛り込みました。
亘理町
被災後の人口 3万4436人(-1149人) 死者257人 不明者13人 がれき撤去率90%   名産のイチゴは、東北地方一でしたが、栽培面積58haのうち55haが津波で浸水しました。荒浜地区の漁港も大打撃を受けました。7~8月には、イチゴ農家6世帯が、姉妹都市むの北海道伊達市に移りました。
山元町
被災後の人口 1万4713人(-1982人) 死者670人 不明者20人 がれき撤去率72%   町の4割が浸水しました。名産のイチゴ、水田に大きな被害が出ました。町は、町内で見つかった写真70万枚を洗浄し、パソコンに取り入れ、検索できるシステムを作りました。

福島県、沿岸市町村の被害と復興(半年後、2011.9) 北から南へ

新地町
被災後の人口 8174人(-213人) 死者109人 不明者1人 がれき撤去率32%   JR常磐線新地駅に停車中の電車が津波に襲われ「くの字」に曲がりました。偶然乗り合わせた巡査2人が約40人の乗客を高台に避難させたことが話題になっています。常磐線については、盛土や高架化した上で復旧させるとしています。
相馬市
被災後の人口 3万7000人(-1054人) 死者454人 不明者5人 がれき撤去率75%   津波で29平方kmが浸水しました。福島県内では南相馬市に次ぐ人的被害が出ました。津波と原発事故の影響でストレスを抱える住民が多く、福島県立医大は年内にも相馬市に「心のケア」の拠点を設置する予定です。
南相馬市
被災後の人口 6万6929人(-4565人) 死者640人 不明者23人 がれき撤去率62%  39平方kmが浸水しました。福島県内最悪の人的被害が出ました。原発事故の影響で、市内は立入禁止の警戒区域のほか、計画的避難区域、緊急時避難準備区域、各指定区域外の4つに分断されました。市役所は緊急時避難準備区域にあります。
浪江町
被災後の人口 2万118人(-1316人) 死者146人 不明者38人 がれき撤去率(データなし)   町全体が原発事故の警戒区域や計画的避難区域に指定され、役場機能は二本松市に移転しました。
双葉町
被災後の人口 6661人(-479人) 死者30人 不明者5人 がれき撤去率(データなし)   福島第一原発が立地し、全域が警戒区域です。一部の住民は埼玉県加須市の高校旧校舎に避難し、役場機能も一緒に移転しました。
大熊町
被災後の人口 1万1006人(-499人) 死者80人 不明者1人 がれき撤去率(データなし)   福島第一原発が立地し、全域が警戒区域です。役場機能は会津若松市に移転しました。放射線量が高い地域があり、住民が長期間帰宅できない恐れも出ています。町のアンケートでは、町民は「町に戻るまで待てる期間を2年以内」とした人が、半数以上を占めました。
富岡町
被災後の人口 1万4762人(-1071人) 死者19人 不明者6人 がれき撤去率(データなし)   福島第二原発が立地し、全域が警戒区域です。役場機能は、郡山市の「ビッグパレット 福島」に移転しました。7月に一部住民が避難する大玉村で「麓山の火祭り」が開かれ、山口県でかいさいされる国体の炬火が採火されました。
楢葉町
被災後の人口 7718人(-293人) 死者11人 不明者2人 がれき撤去率(データなし)   福島第二原発が立地し、大部分が警戒区域、一部が緊急時避難準備区域となっています。役場機能は会津美里町に移転しました。町内2校の小学校は7月半ばに会津美里町で合同卒業式を行いました。卒業生69人中66人が避難先から集まりました。
広野町
被災後の人口 5306人(-184人) 死者2人 不明者1人 がれき撤去率8%   全域が緊急時避難準備区域に指定され、住民は各地に避難しています。7割弱は、隣接するいわき市の仮設住宅やアパートなどで暮らしています。町内には小中学校が1校ずつ。小学校は8月25日から同市の学校を借りて再開しました。
いわき市
被災後の人口 34万1021人(-6554人) 死者309人 不明者38人 がれき撤去率42%   津波で沿岸部に甚大な被害が及びました。水族館「アクアマリンふくしま」は電源が壊滅し、20万匹の魚がほぼ死滅しました。原発事故の警戒区域からの避難者が多く、市内で着工済みの仮設住宅約2600戸のうち、約2400戸は他町村の住民向けとなっています。

東日本大震災の被害と復興を一覧にしてみて

市町村の大まかな位置がわかった

私は、岡山県に住んでいて地理にも疎いので、釜石市といってもなかなかピンと来ませんでした。この一覧を作ることで、岩手県の沿岸のやや南側に位置することがわかりました。

がれき撤去率から支援の必要な場所がわかる
がれき撤去率が悪い所は、町の機能がよくまわっていないことを示していると思います。ボランティアの人などの手が必要かもしれません。
役場機能の移転先がわかった
役場も被災し、移転していますが、どこへ移転しているのか、この一覧で大まかに知ることができました。連絡を取りたいと思っている方があるかも知れません。
人的被害の多かった場所がわかった
1000人以上亡くなった市町村は、陸前高田市、気仙沼市、石巻市、東松島市でした。不明者を加えると、もっと増えます。いろんな支援が必要な都市だと言えます。
人口の増えた都市は
被災後、人口の増えた都市は仙台市と利府町の2つだけでした。
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更新日:2020/03/15