柳川(福岡県)

福岡県の柳川市の「柳川水郷めぐり」を体験したくてバス旅行に参加しました。2010年1月15日は、前日から寒波の影響を受けて、岡山では雪はなかったのですが、広島県内の高速道路(西条から宮島間)が雪で通行止めになりました。

一般道の国道2号線を走ることになりましたが、高速道路から閉め出された車も多いし、坂道では雪で滑りそうになるので自然に車の速度が落ちて、夜の宿泊地である長崎の雲仙への到着時間が2時間位オーバーしそうなので、結局「柳川楽天 水郷めぐり」の時間は取れなくなりました。

柳川市は、福岡県でも南に位置し、有明海に近く、柳川市より南に位置する大牟田市へ約15㎞の距離、柳川市より北に位置する佐賀県佐賀市へも約20㎞という距離にあります。

福岡県と言えば、北九州市、福岡市しか知らなかったけれど、中部に位置する久留米市も有名ですね。そうだ、同級生も住んでいた。福岡県はよく見ると、ペンギンが羽根を広げ、くちばしを上に上げている形をしていますね。

福岡県は、日本海の玄界灘、瀬戸内海の周防灘、有明海に囲まれています。これでは、いろんな海産物も期待できますね。

「柳川水郷めぐり」のようす

これが、こたつ船です。時間があれば乗れたのですが、誠に残念でした。私たちはオプショナルツアーとして「柳川水郷めぐり」を希望していたので、1人1350円の料金を返してもらいました。

柳川の川下りは、堀割を下ります。市内には堀割が総計470㎞にもなり縦横に流れています。この堀割は、川の水位を調節し氾濫を防いだり、防火用水や農業用水としての役割もあるようです。

川下りの内堀コースは、約4.5㎞で70分の船旅だそうです。


柳と川と町並みが、岡山県の倉敷に少し似ていると感じました。こちらの方が川幅の広い場所が長いようでした。船頭さんが、お客さんを待っている所です。

川下りでは、どんこ船に乗り、道よりも低い視点から見ることで、藩政時代や昭和初期の面影を楽しむことができるようです。赤レンガ造りの並倉(味噌工場)、うなぎ供養碑、まちぼうけの碑(北原白秋の詩)、檀一雄文学碑、御花などが見えます。川の両岸は、緑の木々に囲まれ、川のさざ波を感じたり癒されそうですね。

御花(柳川藩主別邸)・おはな

「御花」と呼ばれています。よく知らない者にとっては、お花畑かな?と想像したのですが。外国風のしゃれた建物です。

この建物は、明治42年から1年かけて作られたもので、当時富豪の間で流行っていた西洋館の正面玄関に続く日本建築の大広間という形になっています。

今では、100畳の大広間は宴会やウェディング会場に、殿様や奥方達の居室であった場所は料亭として使われているようです。

旧柳川藩主四代目立花鑑虎(1697)が、四方堀を廻らした総面積約七千坪のこの地域に、集景亭という邸を構え別邸としました。この地域が「花畠」という地名であったので,柳川の人々は当家のことを親しみを込めて「御花」と呼んできました。

「さげもん」とは

おひな様の時に飾る物だそうです。かわいい飾り物が上から下へとぶらさがっています。そして、下げて飾るから「さげもん」なんでしょうね。

「さげもん」とは、旧柳川藩時代に女子が生まれた時、親戚などから贈られた着物のはぎれで、この子が一生幸せでありますようにと祈りを込めて作った物です。 縁起のよい「鶴」「兎」「宝袋」「三番鼠」「這い人形」などの手作りの布細工と、鮮やかな七色の糸で巻いた柳川地方伝統の大まりを輪の中央に下げ、小まりと縫いぐるみを交互に下げ輪につりさげたものでだそうです。

「さげもん」のいわれ

北原白秋生家

この立派な門構えの家が、北原白秋の生家です。大きな造り酒屋でした。バスの時間がせまっていたので、中へ入って見ることはあきらめました。

館内には白秋の著書や遺品や資料などが陳列され、ありし日の白秋の面影をしのぶことが出来ます。明治18年生まれの詩人で作品に「邪宗門」、「思ひ出」などがあります。また奔放な詩魂は短歌・童謡・民謡などの領域にも及び近代の聖詩と言われています。昭和17年11月2日、57歳で永眠しました。

キキョウの花
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更新日:2018/06/07