頤和園(いわえん)

頤和園(いわえん)は、北京市から西北へ約10kmの所にあります。

清の乾隆帝の思想「皇帝権力至上の思想」「長寿不老の神仙思想」「享楽の思想」や趣向で1570年に母の還暦祝って清頤園が造られました。

1860年には英仏連合に破壊されましたが、その後1888年に西太后(せいたいごう)が巨額の海軍経費を流用し再建しました。名前も頤和園と改名しました。中国では最も完全に保存された大型皇室庭園だそうです。

頤和園の特徴

昆明湖
西湖を模した昆明湖と盛り土で造った万寿山を中心にし、3000の楼閣宮殿を配し、3000m2の壮麗な庭園となっています。昆明湖には、3つの島があり、6つの橋で繋がる西堤や17孔橋(廬溝橋を模して造った)が有名です。
宮殿
仏香閣・ぶっこうかく(西太后楽天 が78万両かけて造った8角3重の塔、西太后の居室。堂の西が寝室で、東が食堂だったそうです。)、徳和閣(3層の大戯楼があり、京劇が行われました)、名園・諧趣園、長さ728mもある長廊などの贅を尽くした建造物があります。
蘇州街
頤和園の北側の湖畔に、江南の水郷に似せた蘇州街があります。皇帝が遊びで買い物に来た時に、宦官や宮女が商人を演じたそうです。銀行、質屋、薬屋、茶楼、染物屋などの模擬店が造られていました。現在はみやげ物店が並んでいるようです。

昆明湖

船を出して、ボート遊びも出来ます。この日もたくさんの遊覧ボートが出ていました。

柳の根元近くにかすんで見えるのが、西堤のようです。

北京市内の運河には、頤和園行きの遊覧船が出ているそうです。玉淵譚公園・八一湖から頤和園南如意門へのコースと、北京動物園・北展後湖から頤和園南如意門へのコースがあるようです。夏は快適なようですから、時間に余裕のある方にはおすすめです。

昆明湖は、この園の3/4の面積を占めるそうです。湖が大きさとゆったりと感じられ、また水の波を見るだけでも癒されます。

文昌閣

宮殿の装飾として、獅子はよく使われています。東側に雄の獅子、西側に雌の獅子が置かれます。皇帝の早い帰還を祈るものと言われています。皇帝は、戦いに出ていたのでしょう。早く勝利を治めて、無事に帰って欲しいという願いだと思いました。

仁寿殿(にんじゅでん)

東宮門内にあり、光緒帝や西太后が政務を執ったり外国の施設との会見・外交が行われた場所です。

楽寿堂(らくじゅどう)

光緒時代に西太后が住みました。王公大臣に接見した場所だそうです。堂内には貴重な文物が展示してあります。

西太后の居室がありました。堂の西が寝室で、東が食堂だったそうです。

玉欄堂(ぎょくらんどう)と光緒帝の暗殺

玉瀾堂は昆明湖のほとりに建てられています。中庭をぐるりと取り囲むように建てられた平屋の建物群の西側にあり、昆明湖や万寿山の仏香閣や排雲殿を見渡せる絶好の場所です。

西太后は、「戊戌の変法」という変革を目的にしたグループに賛同した光緒帝をここに玉欄堂へ幽閉したと言われています。そして、死を悟った西太后は、自分の死の前日に光緒帝を毒殺させたとも言われます。光緒帝は、西太后の妹の子だそうです。即位したのは3才の頃で、実権は西太后が握っていました。

光緒帝を殺したのではと疑われている人は、西太后の他には袁世凱がいます。袁世凱は、戊戌の変法で光緒帝を裏切っていたから、西太后亡き後の権力者である光緒帝の報復を恐れていたと思われています。最後の皇帝溥儀も袁世凱によると見ています。

また、西太后に仕えていた宦官の李蓮英がやはり西太后亡き後の光緒帝の報復を恐れて暗殺したのではないかという人もいます。

2008年の調査結果で、死因は急性胃腸炎ヒ素中毒で毒殺されたと結論づけられました。

長廊(ちょうろう)

万寿山と昆明湖の間にあります。白い壁の見える所が廊下になっています。白壁に穴が開けてありますが、形がそれぞれ違います。それは、廊下から湖を見た時に変化を楽しむために造られました。

この穴には、二重のガラスがはめこんでありました。


回廊の柱の梁にには、歴史や神話などをテーマにした絵が描かれています。

風景画、西遊記、紅楼夢の人物画など8000幅もあるそうです。

長廊という名の通り、728mもあるようです。

カラフルな色で描きにくい木肌に描いています。凹凸も激しい所に細やかな絵柄を丹念に描いているので見応えがあります。

細い木には、細かな模様を描いてあり、閉じ込められた生活を送っていた人々もこの絵に慰められたと思いました。

キキョウの花
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Author:Tomoko Ishikawa Valid HTML5 Valid CSS

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更新日:2018/06/07