世界遺産・二条城

世界遺産・二条城(京都市中京区二条通堀川西入二条城町)を見学しました。

二条城は、1603年に将軍徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として全国の大名に命じて作りました。その後、徳川家光が伏見城の遺構を移して完成しました。

桃山文化の建築・絵画・彫刻を堪能できます。

二条城の歴史

1603年、将軍徳川家康が、京都御所の守護と将軍上洛時の宿泊所として全国の大名に命じて作りました。家康はこの年に将軍宣下の祝いを二の丸御殿で行い、江戸幕府が誕生しました。

1613年、1614年の大阪夏の陣や冬の陣には、徳川家康は、この二条城楽天 から出陣しました。

1626年、後の3代将軍徳川家光が上洛し、後水尾天皇に拝謁し左大臣へと昇格しました。その後は城代という留守役が置かれましたが、天災などで荒れました。

1867年、15代将軍徳川慶喜により、二条城の二の丸御殿の大広間で大政奉還が行われ江戸幕府は滅亡し、二条城は朝廷のものになりました。(1603年3月24日(慶長8年2月12日)から、1868年1月3日(慶応3年12月9日)までの265年間の江戸幕府の終了の場となりました)

1884年、離宮となり、1939年には京都市に下賜されました。

1994年、ユネスコの世界遺産に登録されました。

2003年、二条城、築城400年を迎えました。

このように、二条城は江戸幕府の誕生から、大政奉還の江戸幕府の滅亡まで、最初と最後を見届けた場所となっています。

二条城の見所

  1. 徳川家の盛衰を見守った、華麗な桃山文化の宝庫・・・豊臣秀吉の居城であった伏見城(桃山)から呼ばれようになり、特に、豊臣家が全国支配を担った後半を桃山時代といい、この時代を中心に栄えた文化を桃山文化と呼びます。
    • 茶の湯が流行し、唐物の名物茶道具が珍重された一方で、それへの反抗としてのわび茶も発達しました。
    • 陶器では、豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加した西日本の大名が、多くの朝鮮人の陶工を自領に連れ帰させ作らせたのを発祥としています。
    • 有田焼は、佐賀県有田町周辺で焼かれ、鍋島直茂が連れ帰った陶工を発祥としています。
    • 萩焼は、山口県萩市周辺で焼かれ、毛利輝元が連れ帰った陶工を発祥としています。
    • 薩摩焼は、鹿児島県一帯で焼かれ、島津義弘が連れ帰った陶工を発祥とします。
    • 上野焼(あがのやき)は、福岡県田川郡福智町で焼かれ、細川忠興が小倉藩主となった際に、家臣となった朝鮮人陶工に命じて焼かせたものが発祥とするそうです。
  2. 二の丸御殿(国宝)は大政奉還を発表した歴史的な舞台・・・1867年慶応3年10月、二条城に40藩の重役を参集し、大政奉還の会議がなされました。二の丸御殿大広間において徳川慶喜が大政奉還を発表しました。
  3. の丸御殿の6棟は武家風書院造りの代表・・・桃山時代の武家風書院造りの代表的なもので、車寄せに続いて遠侍(とおさむらい)、式台(しきだい)、大広間(おおひろま)、蘇鉄の間(そてつのま)、黒書院(くろしょいん)、白書院(しろしょいん)の6棟が東西から南北にかけて雁行に立ち並んでいます。
  4. 狩野派による絢爛豪華な障壁画(ふすま絵)・・・障壁画(ふすま絵)は、濃絵と言われ金箔地に青・緑を彩色し、豊かな色彩と力強い線描や雄大な構図が特徴となっています。
  5. 桜のライトアップが見事・・・二条城の桜の見ごろは、3月下旬~4月中旬頃で、秋の紅葉の見ごろ時期は、11月中旬~12月上旬頃だそうです。

二条城の建物

二条城を上から見た図

二条城を上から見た図ですが、上が北に相当します。水色は外堀、内堀で水が流れています。左の中の四角い所が本丸御殿のあるところで、右半分に二の丸御殿があります。

二の丸御殿

これが、国宝の二の丸御殿です。武家風書院造の代表的な御殿建築ということです。

車寄せにつづいて遠侍(大名が最初に在んないされる場所、控室です。襖に虎の絵があり、徳川の力を見せつけています)があります。

つぎに式台があり、ここは、老中と大名が挨拶を交わす場所で、将軍への取次をします。

大広間には、松の絵が描かれています。ここで、15代将軍慶喜が「政権を朝廷に返納しようと思う」と大名たちに話した場所です。大政奉還の歴史的瞬間の場所として、歴史的な価値があります。

次に蘇鉄の間、黒書院、白書院と6棟が東南から西北にかけて雁行(雁が飛んでいく形)に並んでいます。

部屋数33,畳800畳あまりという、とてつもない大きさでした。

各部屋の障壁画は狩野派の絢爛豪華なものでした。1016面あるそうで、国の重要文化財になっています。欄間の彫刻、飾り金具など職人の技のすごさに驚きました。部屋の中の撮影は禁止されていました。

紫外線から内部を守るためにうぐいす張りの廊下の障子も締め切ったままなので、御殿の中は薄暗い状態でした。江戸時代もきっとこの位、暗かったのではないかと思いました。

唐門

唐門

唐門と呼ばれている立派な門です。この唐門は、家光が天皇を迎えるために作りました。徳川の力を表す絢爛豪華な建物になっています。

ここから将軍も出入りされたのですね。私たち庶民も自由に見られる、城の中へも自由に出入りできる良い時代に生まれたことに感謝です。

本丸御殿

本丸御殿

天守閣跡から本丸御殿を写しました。1626年徳川家光の命により増築されましたが、1750年に5層の天守閣が雷火で焼失、1788年には大火による類焼で本丸も焼けました。

現在の建物は、京都御苑内にあった旧桂宮御殿を1893年から1894年に移されたものです。 向こうに見える山は、大文字山とか、近くの人が言っていましたが、位置がよくわからない私は、「そうなんか」と思ったしだいです。合っているのでしょうか。

桃山文化とは

豊臣家が全国支配を担った時代を桃山時代といい、この時代を中心に栄えた文化を桃山文化と呼んでいます。桃山の名称は江戸時代になって廃城された伏見城の跡地に桃の木が植えられたことから名付けられたものです。

豊臣秀吉は京を活動の拠点とし、茶の湯(千利休を重用した)を始めとする文化活動を自らも積極的に行いました。茶の湯が流行し、唐物の名物茶道具が珍重された一方で、それへの反抗としてのわび茶も発達しました。茶器が大名から家臣への報奨とされたり、茶会が武将と豪商を結ぶなど政治にも影響しました。

そんな中で、秀吉と利休の関係もギクシャクし始め、ついに秀吉は、利休に切腹を命じることになってしまいました。

さらに、天文18年(1549年)のフランシスコ・ザビエル来日以来の南蛮貿易による異文化との接触や朝鮮陶法の伝播などにより、文化は新たな時代を迎えました。日本が初めて西洋文化と直接(中国などを介さずに、正式な形で)触れ合ったという点で重要だそうです。

京都府にある世界文化遺産

京都府には、2011年12月現在、以下の17ヶ所が世界文化遺産として登録されています。私が訪問し覚えているお寺や神社は、8ヶ所ほどになります。

修学旅行などで行かない所にも、目を見張るものがありそうです。全てを訪れたいものです。

  1. 賀茂別雷神社(上賀茂神社)(京都市北区)
  2. 賀茂御祖神社(下鴨神社)(京都市左京区)
  3. 教王護国寺(東寺)(京都市南区)
  4. 清水寺(京都市東山区)
  5. 延暦寺(滋賀県大津市坂本本町・京都市左京区)
  6. 醍醐寺(京都市伏見区)
  7. 仁和寺(京都市右京区)
  8. 平等院(宇治市)
  9. 宇治上神社(宇治市)
  10. 高山寺(京都市右京区)
  11. 西芳寺(苔寺)(京都市西京区)
  12. 天龍寺(京都市右京区)
  13. 鹿苑寺(金閣寺)(京都市北区)
  14. 慈照寺(銀閣寺)(京都市左京区)
  15. 龍安寺(京都市右京区)
  16. 本願寺(西本願寺)(京都市下京区)
  17. 二条城(京都市中京区) 

人気の世界遺産

2009年1月18日の読売新聞に、行ってみたい世界遺産の人気ランキングが載っていた。

行ってみたい世界遺産
1位 マチュ・ピチュ ペルー 1497票
2位 グランド・キャニオン アメリカ 727
3位 モンサンミシェル フランス 632
4位 メンフィス エジプト 560
5位 ベルサイユ宮殿 フランス 394
6位 アンコール・ワット カンボジア 365
7位 万里の長城 中国 355
8位 ガラパコス諸島 エクアドル 350
9位 イグアスの滝 ブラジル・アルゼンチン 343
10位 カナディアン・ロッキー カナダ 300

総票数8460票(男性4842 女性3618)

マチュ・ピチュは、インカ帝国の都市遺跡で、標高2000メートルを超す山頂にある天空の楼閣で、なぜこんな高地に都市ができたのか。どのように暮らしていたのか。高度な文明にロマンをかきたてられ、一番の人気だそうです。

私も行ってみたいですが、体力的にあのような高地だと無理ではないかと思っています。雄大な自然遺産が半分ほどあります。文化遺産が半分ほどですね。フランスが二つも入っているのが、すごいです。 

キキョウの花
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更新日:2020/03/15