故宮博物院(こきゅうはくぶついん)
故宮博物院(こきゅうはくぶついん)は、明、清(みん・しん)の時代の皇帝(500年間、24人の皇帝)が住んだ宮殿で、「紫禁城(しきんじょう)」と呼ばれました。紫禁城とは、天帝がいる天上の紫宮にあやかり、天子の居城に民衆の接近を禁ずるという意味があったそうです。
明の永楽帝が14年かけて作り、1420年に完成しました。明代には火災が度々起き、今ある建物は大部分は清代に再建されました。
1947年皇帝溥儀(ふぎ)が去った後、紫禁城は政府により「故宮博物院」と名付けられ、歴代の皇帝の収集文物を管理することになりました。(1951年、周恩来の指示によるものだそうです)1987年には世界遺産に認定されました。
故宮博物院の大きさ
故宮博物院楽天 は、皇帝の住む宮殿です。その広さは想像を超えたものでした。
- 面積など
- 南北961m、東西753m、敷地面積72万m2、建築面積16.3万m2だそうです。城壁は高さ10m、堀は幅が52mです。
- 部屋数
- 現存する世界最大の宮殿で部屋数は8704室あります。
- 太和殿
- 中国最大の木造宮殿で東西66mもあります。
午門(ごもん)
天安門広場をまっすぐ北に行くと、故宮博物院に繋がります。
午門(ごもん)は、故宮の正門に当たります。
樹木を植えられていないのは、外朝(がいちょう)と呼ばれる、皇帝即位などの重要な行事の場所をさえぎらないように考えてのことだそうです。
外朝は、この奥にある太和門を入った所にある広場で、太和殿の前に広がっています。
たくさんの見物客で混み合っていました。広い中国各地から旅行に来ているようです。また、私達のような外国人、日本や韓国からの人も多そうでした。
太和殿(たいわでん)
故宮博物院のほぼ真ん中に位置するのが、この太和殿(たいわでん)です。
元旦、冬至、皇帝誕生日の三大節、皇帝の即位、婚礼、出兵令、科挙合格者との接見などの儀式の場です。
映画「ラストエンペラー」で皇帝溥儀が即位した舞台として有名です。
太和殿(たいわでん)、中和殿、保和殿は、高さ8.1mあり、白玉石の3層の基壇上に立っています。基壇から排水口を兼ねた龍頭が突き出ています。
この前に大きな広場があります。「ラストエンペラー」の中にも、たくさんの部下がこの場に整列して皇帝に頭を下げていたシーンがあったような気がしてきました。
周りは、回廊でぐるり取り囲まれていました。
保和殿(ほうわでん)
明代には、皇帝が皇后や皇太子を正式即位させた場所です。清代には、皇帝が大晦日、正月15日に外藩、王公、大臣、外国使節を招き宴会を行った場所です。
乾清宮(かんせいぐう)
皇帝が役人の召見、外国使節の謁見など日常政務を行った場所です。
康煕帝、乾隆帝は、ここで3000人の大宴会を開いたそうです。明代の皇帝の寝所でもありました。
御花園(ぎょかえん)
御花園(ぎょかえん)は、皇帝や皇后や妃達が花を見たり、月見をして楽しんだ場所です。堆秀山は、太湖石の築山で重陽節にここで観月をしました。
神武門(じんぶもん)
故宮博物院の北側にある城門です。出口を出て地下通路を渡ると景山公園となります。
景山は、お堀を掘った時に出た土を盛って作った人工の山です。お城の北側には山がないといけないと言われ作ったようです。
景山は海抜104mでかつては北京一の眺望を誇っていたとか。時間があれば、ぜひここから紫禁城を見てみたかったです。
さっと通り抜けた感じで、同じような建物や門が次々に表れて、驚きでした。あまりの大きさと、たくさんの建物に驚嘆しました。が、一度入ると一生出てこられない妃達にすると御花園(ぎょかえん)なども大きすぎるとは言えないかもしれません。
紫禁城のお宝は?
多くの宝物が内戦終結時に蒋介石によって台湾へ持ち去られたそうです。
それでも象牙の莚、玉の彫刻など歴代皇帝の収集品や妃達の宝飾品などがたくさん残っています。
秘宝の中の秘宝は珍宝館、鐘表館、工芸館などに陳列されています。
宮殿建築の装飾
- 宮殿は左右対称
- 宮殿は南北中軸線に左右対称に配置されています。風水や陰陽五行思想に基づいて設計されているようです。
- 龍
- 龍は権力者としての皇帝のシンボルになり、明の時代には五爪二角の龍が皇帝の服を飾りました。玉座にも龍の彫り物がありました。
- 亀
- 皇帝の長寿のシンボルとして使われました。
- 獅子
- 東には雄、西には雌、門前に一対ずつ置かれました。皇帝の早い帰還を祈るものだそうです。
- 鳳凰
- 皇后の幸福のシンボルです。西六宮の長春宮前に鳳凰像があります。