宮島・厳島神社(いつくしまじんじゃ)
宮島・厳島神社(みやじま・いつくしまじんじゃ)は、日本三景の一つです。大鳥居と厳島神社は世界遺産に登録されています。弥山(みせん)を背景に、海に浮かぶ神社として1996年に世界遺産に登録されました。
私が訪れた時にも外国の方がたくさん観光に来られていました。観光客は年間350万人も訪れるようです。
海の上に立つ神社と鳥居は、どんな風になっているのか興味津々です。日本三景は、他には松島(宮城県宮城郡松島町)の多島海と天橋立(京都府宮津市)の砂嘴があります。
フェリーで宮島・厳島神社へ
広島県の西部にある宮島桟橋からフェリーで約10分かかります。だんだんと赤い鳥居が大きく見えてくると、さあどんな神社なんだろうと、ワクワクドキドキ感が襲ってきました。
初めての世界遺産・大鳥居と厳島神社に期待して船から下りました。宮島は周囲約31kmだそうで、約1800人が住んでいます。
宮島・厳島神社
厳島神社は、593年に創建され、平清盛が1146年に安芸守に任官され、社殿を現在の姿に造営しました。
皇族、貴族などが訪問されて都の文化や建築(平安時代の寝殿造り)が宮島楽天 に入ってきました。嚴島神社に伝承されている舞楽は、平の清盛公によって大阪四天王寺から移されたものだそうです。
本殿には、市杵島姫(いちきしまひめ)・湍津姫(たぎつひめ)・田心姫(たごりひめ)の宗像三女神が祭られています。
平清盛が、自らの権威を見せつけるため、海を見たことのない都の貴族達に感動を与えるために作られたようです。後には、豊臣秀吉も訪れました。
満潮時には、建物の影が海水に映り、またそれが波に揺れて幻想的な風景となることでしょう。
厳島神社は、陰陽道を取り入れて作られているそうです。五色で飾られています。
火を表す赤は朱塗りの柱などに、木を表す青は窓に、金を表す白は壁に、水を表す黒は屋根に、土を表す黄は柱の先端に使われています。
厳島神社の大鳥居
朱塗りの大鳥居は、奈良の大仏とほぼ同じ高さで16m、周囲10m、重量は約60tもあり日本最大の木造の鳥居です。大きい柱は樹齢500~600年のクスノキで作られ、今の8代目の鳥居を建てる時は、巨木を探すために約20年の歳月を費やしたそうです。100年に1度取り替えが行われるようです。
また、柱の根元は砂に埋められているのではなく、松材の杭を打って地盤を強くし、箱型の島木の中に石を詰めて鳥居の重みだけで立っているそうです。その石には、お経が書かれています。
昔は、船でこの鳥居をくぐってから参拝したそうです。正に海に浮かぶ神社で、感動もひとしおだったと想像します。今でも満潮時には船で近くまで行って見物することもできます。
大鳥居を守るためクスノキを育てる活動
地元では、約20年前に「宮島1000年委員会」という会を立ち上げ、大鳥居の材料となるクスノキを育てておられます。クスノキもシカに食べられたり、台風で倒れたりとなかなか大変です。大きな台風が来て、大鳥居が壊れるかもという危機感から、会が立ち上げられたそうです。
クスノキの種を拾って鉢に植えて育てています。まっすぐに育てるために、横に伸びた枝を落とし世話をしますが、まっすぐ育つまで10年もかかるようです。
宮島では、先祖代々クスノキを育てることが受け継がれており、裏山には江戸時代に植えられた巨大なクスノキをもあり、樹齢は250年と言われています。
厳島神社の回廊
回廊を曲がる度に、違った光景が目に入って来ます。何回来ても飽きないと言われますが、こんな所にも理由があるようです。
回廊は270mもあり、20数棟の社殿を結んでいます。厳島神社は、満潮時に海に浮かんで見えるように作られています。
社殿は礎石の上に乗っているだけとなっています。床板は一間に8枚敷かれていて、床板の隙間は7mmで高潮の時に床下からの海水の圧力を弱め、また、回廊に上がった海水を流します。台風時には、床板を外せるようにできています。
現在は、床板の上に養生板が敷いてあり観光客は土足で歩けるようになっています。
匠の技では、床の高さも計算されています。9月の大潮の満潮時でも海水が上がらないように設計されていました。が、地球温暖化の影響か海水が床の上に上がってくることもあります。
本社本殿に向けて、床が少しずつ高くなっています。ご神体だけは、今だ海水に浸かったことはありません。海の上に浮いた姿を見せるためにギリギリの高さで作られているのです。
回廊は、釘を使っていません。などと言う説明を聞いていましたら、後ろの方で、カメラ撮影をしているようです。耳の早い人が、「緒方直人さんが来ている、あれがそうらしい」と、教えてくれました。
必死で、カメラのズームをアップして、やっとこの一枚を何とか撮影できました。素早い人は、握手してもらったり、一緒に写真を撮ったりしていました。一人だけでしたが。たくさん来られても緒方さんは、迷惑されますよね。他の人たちは、がまんでした。緒方直人さんは、始終落ち着いた態度でした。遠くてもオーラを感じましたね。緒方拳さんはすばらしい役者さんですが、息子さんも後を立派に継がれそうですね。2010.4.6
緒方直人さん出演「海の世界遺産を守りたい、宮島・モンサンミシェル・ベネチア」
2011年3月6日の午後2時からの「海の世界遺産を守りたい 宮島・モンサンミシェル・ベネチア」という番組をたまたま見ました。「あ、これだ」と思いました。
上の写真の緒方さんは、この取材に来られていたのですね。何回も宮島に足を運ばれていることが、映像からわかりました。
この番組は、広島ホームテレビ40周年記念番組だそうです。
- 宮島・厳島神社を守る取り組み
- 常に海水に浸かっている柱は、傷みやすいので、定期的に傷んだ箇所を修復しています。床下の柱を「根つぎ」という方法で、専門の大工さんが行っています。
- 1959年には、異常高潮が来て商店街まで水浸しになったこともあります。台風による大雨で土石流が発生したこともあります。ゴム製の防水板を自己負担で180万円かけて作り、店を守っている店主もいます。
- 宮島は火災にみまわれたこともあります。世界遺産という大切な文化財を守るために、毎月1回消防訓練が行われています。地元の商店街などの人たちが行っています。
- フランス・モンサンミシェル修道院の取り組み
- モンサンミシェル修道院は、パリから車で5時間の所にあります。周囲が1km、高さは80mで40人が暮らしているそうです。708年にミカエルのお告げで司祭オベールが小さな礼拝堂を作りました。18世紀には火災にあいその後修復されました。約130年前の1877年にモンサンミシェル修道院へ行く2kmの道路が観光客などのために作られました。また、干拓事業もなされました。
- この道路が作られたために約100年で2mの砂が堆積しました。そして、海に浮かぶことで有名なモンサンミシェル修道院は、1年に50日ほどしか海の上の修道院にならなくなりました。そこで、総工費300億円をかけて、道路を無くし橋を架けることにしました。川上にはダムを作り、干潮時には川の水を流して砂を流すことにしました。2025年には、昔の姿を取り戻す予定だそうです。
- イタリア・ヴェネツィア(ベネチア)
- ヴェネツィア(ベネチア)は、水の都として有名で、6万人が生活しています。マルコ・ポーロが育った町でもあります。年間2100万人が観光客として訪れます。船が交通機関として活躍しています。元々沼地だった場所に10mの杭をたくさん打ち込んで地盤を固め都市を作りました。ヴェネツィア(ベネチア)は、季節風がアドリア湾の海水を上げると海水に浸かってしまいます。1966年11月4日には、町の80%が浸かり、5000人が家を失いました。1m94cmまで潮が満ちてきたそうです。
- アクアアルタ(異常潮位)の対策として、お店の商品やコンセントを高い位置に配しています。本屋さんでは、本をゴンドラに乗せて陳列している所もあります。潮の予報を流して市民に伝えています。また、アクアアルタ(異常潮位)の3時間前にはサイレンを鳴らします。市内30箇所にサイレンが設置されています。
厳島神社の能舞台
国内でも唯一の海に浮かぶ能舞台です。厳島神社の能舞台は、重要文化財に指定されている国内5つの能舞台の中の1つです。
桃花祭の翌日である4月16日から3日間、「神能」が行われます。毎年広島県内や東京、京都などから延べ400人もの能楽師が集まり、厳島神社能舞台で能・狂言が奉納されるようです。
野村萬斎さんのエッセイから
2010年12月5日の読売新聞の日曜版に、野村萬斎さんのエッセイが載っていました。題は「海の舞台」で考える芝居の意義というものでした。
野村萬斎さんは、日本のいろんな場所で狂言を演じておられます。中でも雄大な自然の前では、人間の力など無に等しいと実感出来る場所が、ここ厳島神社の能舞台と、岩手県中尊寺の白山神社能楽堂の二つと言われます。
杉木立に囲まれた中尊寺の白山神社能楽堂を「山の舞台」と呼ぶならば、厳島神社の能舞台は、正に「海の舞台」です。
引き潮の時には、砂浜が広がり、満潮の時には、舞台のすぐ下まで海水がひたひたとやってきます。波のざわめき、鳥の声。観客が席に着く頃には空にはまだ日があります。舞台が進むにつれて、水平線が茜色に染まり、深々と夜が忍び寄るそうです。
2002年の「宮島狂言」では、野村萬斎さんは、月の光に照らされながら「三番叟を舞ったそうです。現実から浮遊し、小宇宙にトリップする原初的な幻想的体験だったと書いておられます。
現代劇では、知恵を絞って演技プランを考え、身につけた技巧で、細かい心理のひだを表現しようとするが、ここでは、そんな技術は通じない。
雲間から差す一筋の光や海辺に寄せる風波の調べにはかなわないからだと記しています。そして、この舞台でできることは、おおらかに役としての人生を生きることだけだと、書いていました。
このエッセイを読んで、月明かりでの能舞台での演技を想像しました。満潮であれば、波の音や風の音も効果音となるでしょう。一度見たら、きっと心に刻まれる舞台となるでしょうね。
厳島神社の五重塔
五重塔は、和と禅宗様が融合されて、みごとな構成をなしています。室町時代の1407年の創建と言われています。
五重の塔の手前の建物は、客社祓殿(まろうどしゃ、はらえどの、と読む)です。厳島神社に入ってから最初の頃の社殿です。
干潮に近かったのか、海水はほとんど見えませんでした。
厳島神社の鹿
宮島には、鹿がたくさんいました。神様の使いとして大切にされています。観光客の食べている焼きちくわが欲しいのか、着いて行っている鹿もいました。たいていの鹿はのんびりと座っているか、ゆっくりと歩いていました。
かわいい顔をしているので、みんな写真を撮るのに必死でした。写真を撮ろうとすると動いてなかなかいい写真を撮るのは難しかったです。
弥山(みせん)に登る
「あさイチ」で弥山に登っているところを紹介していました。弥山は535mあります。1200年前に空海が護摩修行のために焚いた火が今でも続いて燃えているようです。
1時間も登ると、大聖院がありました。平安時代から続いているお寺です。1200年間消えることの無かった火で沸かしたお湯を飲むと、万病に効くそうです。大茶釜の鉄分が溶けたお湯は、熱くもなく冷たくもないようです。
煤にもご利益があるとかで、お供えした如意帽子が煤で黒くなると願いが叶うそうです。
さらに登ると、不動岩、船岩、干満岩などの名前がついた巨岩があります。干満岩には、小さな穴があり、少しの海水が入っているそうです。その水は海の干満に連れて水の量が変わると言われています。
そして、山頂にはまた巨大な岩が並んでいます。昔から神様の島と崇められていたのが、なるほどと感じられるようです。
弥山での禁止事項
- 木を植える
- 木を切る
- 石や土を持ち込む
道路や電柱などの必要な工事の時には、特別な許可を取ってやっているそうです。
「弥山を守る会」の活動
7年前、台風で弥山に土砂崩れが起きました。大聖寺の一部も壊れました。弥山は、遠くから見ると観音様の寝姿に見えると言われますが、ちょうど目の辺りの所で土砂崩れが起き、涙を流しているように見えます。地元の人は、観音様が悲しんでいると心を痛めています。
「弥山を守る会」では、毎月1回弥山を清掃しています。溝の掃除なども丁寧に行い、水はけをよくして土砂崩れの防止に努めています。「ありがとうスタンプカード」などもあり、清掃に参加すると1個スタンプを押してもらえます。カードいっぱいになると、大聖寺から、カレンダーが印刷されたかわいいタオルがもらえるそうです。
島の内外から毎回20人ほどが参加されています。「弥山を守る会」のHPで、参加者を募集しているそうです。
宮島・広島みやげ
- 宮島しゃもじ
- 宮島しゃもじは、宮島のおみやげとして昔から有名です。宮島しゃもじは、「敵を召し(飯)とって勝ち勝ち(カチカチとしゃもじをたたく)」というめでたい、おしゃもじということらしいです。また、幸運をすくうという意味もあるようです。
- 昔、自動車会社に勤めておられた人が新しいしゃもじを作られているそうです。ご飯がつきにくいしゃもじには、横溝が切ってあります。手削りのしゃもじもあります。ともに、漆を塗っているので抗菌作用があるようです。ご飯がつきにくいしゃもじは3800円、手削りのしゃもじは5000~10000円という値段だそうです。縦に立てられたり、磁石でくっつけられるしゃもじも作られています。
- もみじまんじゅう
- あん、クリーム、チョコ、りんご、もちなどが入ったもみじまんじゅうもあります。ご当地アイドルのMMJ(女性8人のグループ)は、2年前に結成されたそうです。平均年齢23歳とか。MMJの人気投票では、1位がこしあん味、2位がチーズ味、3位がお芋味、4位がチョコレート味、5位がブランデー味ということでした。また、ソフトクリームにもみじ饅頭を練り込んだものや、油で揚げた揚げもみじもあります。揚げもみじは、宮島でしか食べられません。
- にぎり天
- 串にさした揚げ天ぷらで、アスパラ・ベーコン、ポテト・ベーコン、たこねぎ、えび、かに、ごぼう、いか、枝豆、青ネギ・しょうが、チーズ・ベーコン、あなごなどが1本300円だそうです。
- 牡蠣の調味料
- 牡蠣醤油、牡蠣マヨネーズ、牡蠣味噌などもあります。
- その他
- あなご飯、広島菜漬け、かきフライ、殻付きカキ、お好み焼きなどたくさんのおみやげがあります。