山中伸弥教授の歩み
「ips細胞」という言葉を新聞でよく見かけるようになりました。この「ips細胞」を2006年に確立したのが、山中伸弥(やまなかしんや)教授でした。
ips細胞は、大人の皮膚細胞に4種類の遺伝子を導入するだけで、ほぼ無限に増殖し、神経や筋肉、骨などのあらゆる細胞に変わる胚性幹(ES)細胞(万能細胞)に似た性質を持っています。ES細胞は受精卵を壊して作るので倫理的に問題がありましたが、ips細胞はこの倫理的問題もクリアしました。
ips細胞の研究は、最先端の医療技術として大きな期待を寄せられています。また、世界中の研究者が競争している分野でもあります。
山中伸弥教授が、高校生に向けて講演されているテレビ番組を見ました。普段の新聞やテレビでは見られない山中伸弥教授の歩みを語っておられました。ここにまとめてみましたので、特にこれからの若い方達に読んでもらいたいと思います。
ノーベル医学生理学賞に決まる、おめでとうございます(2012.10)
2012年10月9日、テレビニュースで山中伸弥さんがノーベル医学生理学賞に決まったと発表していました。
スウェーデンのカロリンスカ医科大は8日、2012年のノーベル医学生理学賞を、京都大の山中伸弥(しんや)教授(50)らに贈ると発表しました。
山中教授は皮膚などの体細胞から、様々な細胞になりうる能力をもったiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作り出すことに成功しました。難病の仕組み解明や新薬開発、再生医療の実現に向けて新しい道を開いたことが認められました。iPS細胞誕生から6年でのノーベル賞受賞は、異例のスピードだそうです。それだけ、人類に対して貴重な研究ということなのでしょうね。
日本人のノーベル賞受賞は19人目で2010年以来となりました。医学生理学賞は利根川進さんに次ぎ25年ぶり2人目となります。この度同時に受賞するのは英ケンブリッジ大のジョン・ガードン教授(79)です。
経済危機の影響で今年から2割減額された賞金800万スウェーデンクローナ(約9400万円)は2人で分けることになります。授賞式は12月10日にストックホルムで開催されます。
それまで「万能細胞」の主役だった胚性幹細胞(ES細胞)は、受精卵を壊して作る必要があり、受精卵を生命とみる立場から慎重論もありました。ヒトiPS細胞はこうした倫理的な問題を回避できます。
iPS細胞は、新薬開発への応用が期待されています。アルツハイマー病やパーキンソン病など様々な病気の患者の細胞からiPS細胞を作り、神経や肝臓などの細胞に分化させ、薬の候補になる薬剤をふりかければ、効果や、毒性などを調べることができます。
また、将来的には再生医療の実現への期待も大きいそうです。iPS細胞から神経幹細胞を作って脊髄(せきずい)損傷の患者への移植、心筋細胞を心不全の患者へ移植など、病気を治す再生医療の実現に世界中で研究が進んでいます。朝日新聞より
山中伸弥教授の歩み
山中伸弥教授は、大阪府東大阪市出身で、小学校から大学1年まで奈良市にお住まいだったようです。
神戸大学医学部を卒業後、国立大阪病院で臨床研究医(整形外科医)として勤めておられました。
その後、大阪市立大学大学院で薬理学研究を始められました。博士課程を終了の後、米カリフォルニア大学・サンフランシスコ校のグラッドストーン研究所へ留学し、ips細胞の研究を始めました。
1996年に大阪市立大学・医学部・薬理学教室の助手として働きました。
1999年12月には、新しくできた奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センターの助教授として研究できるようになりました。2003年9月には、教授になりました。
2004年10月には京都大学楽天 ・再生医科学研究所の教授になりました。その後2008年1月には京都大学物質-細胞統合システム拠点iPS細胞研究センター長に、2010年4月には京都大学iPS細胞研究所長となり、活躍されています。
山中伸弥教授からの高校生・若者たちへのメッセージ
山中伸弥教授は、新聞やテレビで取り上げられているのを見ると、順調に業績を重ねてこられたように思えますが、たくさんの失敗や挫折を乗り越えて今ここにあるそうです。
失敗し、工夫を重ね、立ち上がり、今の自分があると言われます。「いっぱい失敗してほしい。9回失敗しないとなかなか1回の成功が手に入らない。私自身もそうだった。」と言われています。
教授は、学生時代にはラグビーや柔道に熱中していたそうです。けがの治療で外科に通ううちに、医師を志すようになったようです。
整形外科医として働かれましたが、手術が苦手のようでした。「うまい先生がやると、20分で終わる手術、僕がやると2時間かかる。なんと呼ばれたかというと、『邪魔なか』と呼ばれていました。おまえはホンマ邪魔や、『邪魔なか』めって言われていました。」そう語っておられました。
そこて゛、大きな方向転換を図られました。患者さんを直接診るのではなく、病気の元になっている原因や治療法を探るという方向へ大きく舵を切り替えられました。
研究の場として選んだアメリカで、ロバート・メーリー博士から教えを受けました。「若いころの伸弥に“夢”と“努力”について話をした。“大きな夢”を持たねばならない。そして夢の実現に欠かせないのが“地道な努力”だと。」
アメリカから日本に帰ってきた時にも、助教授という立場で、雑用と整わない設備に絶望さえ抱いたそうです。研究を止めてまた臨床医に帰ろうかとさえ考えていた時に、神様は見捨てなかったのですね、公募を見つけた奈良先端科学技術大学院大学遺伝子教育研究センターの助教授として研究できるようになったのです。
その時に、決心されました。「2回挫折している、臨床医を逃げ出し、今度は研究者も逃げ出そうとして、幸運にも研究者を続けたというタイミング、それだったら他の人がやりたいと思っても挑戦できないことをやろうと。」
そして、夢の実現のために、地道な努力を続けた山中教授は2006年、ついにマウスで万能細胞を作り出すことに成功しました。iPS細胞の誕生でした。
- 山中伸弥教授からの高校生・若者たちへのメッセージ
-
- 失敗をおそれずやってみよう。
- VW・・・Vision HardWork 高い目標を掲げて、一生懸命にやってみよう。
- 何事も山あり谷ありです。・・・一喜一憂せずに継続してやることが重要となります。
山中伸弥教授のips研究
ips細胞は、大人の皮膚細胞に4種類の遺伝子を導入するだけで、ほぼ無限に増殖し、神経や筋肉、骨などのあらゆる細胞に変わります。が、ips細胞はがんになりやすいそうです。
そこで、癌になりにくい、安全なips細胞を作る研究をされています。そして、血液、肝臓、心臓などの臓器にうまくなるのかどうかを研究しています。
そして、ips細胞を使って難病を治したり、新薬を作ったりと広範囲な活用が期待されています。
京都大学iPS細胞研究所長として
山中伸弥教授は、35歳の時から独立し、チャンスを与えてもらったことに感謝されています。
京都大学iPS細胞研究所長では、200人のスタッフが働いています。20~30歳代の若い人が多いそうです。自分が独立させてもらったように、若い人たちにもチャンスを与え、良い研究ができることを願っておられます。
世界には、研究費をたくさん使える研究所が多いと思います。日本も世界に負けない研究をするには、それなりに研究費をつぎ込まないと厳しい状況です。
世界に負けない研究ができるように、国などからの研究費が増えればいいと思います。
ips細胞研究の広がり 2013.12
- 肝硬変・肝不全
- 横浜市立大学の谷口英樹教授は、マウスの実験で重度の肝不全のマウスにips細胞で作ったミニ肝臓を移植したら、マウスの生存率が9割になったそうです。ミニ肝臓は、カテーテルを使って肝臓へ移植できると言います。早く人間に使えるようになるといいです。
- 血小板
- 血小板は血を止める作用があり、手術時に使われます。しかし、採血から4日間しか持たないために調達が難しい。凍結したら使えませんから。そこで、京都にあるメガカリオンという会社が、人のips細胞から血小板になる途中の段階での凍結にこぎつけ、3年後に日米で臨床試験に入るようです。
- 加齢黄斑変性
- 理化学研(神戸市)の高橋政代さんのグループは、ips細胞を使った加齢黄斑変性の治療法を確立しました。しかし、今の段階ではその治療費が1人分で2000~3000万円かかるそうで、これから安くできる方法を見つけるそうです。