世界を魅了する由紀さおり

由紀さおりさんが、アメリカのジャズオーケストラと組み1960年代の歌謡曲をカバーしたアルバムが、世界中でヒットしているようです。

由紀さおりさんが日本語で歌う日本の歌謡曲が、なぜ今人気なのか分析していました。

ニューヨーク、ボストンでのコンサート

2011年の暮、ニューヨークのボストンで由紀さおりさんのコンサートが行われました。ジャズ・オーケストラとのコラボ企画でした。満席でお客さんは2万人だったそうです。

また、由紀さおり楽天 さんが、アメリカのジャズオーケストラと組み1960年代の歌謡曲をカバーしたアルバムが、世界中でヒットしているようです。

1969年にヒットした曲を集めた「1969 アルバム」には、12曲収められており、その半分は歌謡曲です。有名な「夜明けのスキャット」「ブルーライトヨコハマ」などが入っています。1曲以外は、日本語で歌っています。それなのに、なぜアメリカ人などの心をつかむのでしょうか。

きっかけは、中古レコード

ジャズオーケストラのリーダーである、トーマス・ローダーデールさんは、中古レコード店で由紀さおりさんの「夜明けのスキャット」のジャケットを見て気に入りました。トーマス・ローダーデールさんは世界で今、注目を集めるジャズオーケストラのリーダーです。

「一曲を聴いて、一瞬で恋に落ちました。夏のそよ風のような美しさで、安らかだけどどこか寂しいそんな気持ちになりました」と言います。由紀さおりさんの歌には浮世絵のような漂う感覚があると言います。

43年前の由紀さんの歌に、欧米の音楽にはない独特のテンポや声の抑揚など斬新な魅力を発見したトーマスさんは、往年の日本の歌謡曲が持つ新鮮な魅力を広く伝えたいと由紀さんとアルバムを作ることを企画しました。

由紀さおりさんの歌声の魅力とは

由紀さおりさんのファンの一人、オレゴン州の主婦の人は、娘と夫からのクリスマスプレゼントとして由紀さおりさんのCD?をもらい、パーティで夜通しかけ続けました。由紀さおりの日本語の響きが、すごく音楽にあっていると言います。

ニューヨークの国連で働く男性は、「言葉の意味はわかりませんが、すごく楽しめます。心に自然や海が浮かぶ」と言います。

ファンに共通するのは、由紀さんの歌声には今まであまり聴いたことのないような新鮮な魅力を覚えるということです。

日本の歌謡曲の工夫

西洋のメロディーに、同じフレーズの長さ、旋律の長さを使うと、そこに盛り込める日本語の単語は英語やドイツ語に比べて少なくなります。だから、日本語の一つ一つの単語がとても重要になります。

日本近代音楽の父山田耕筰は、その極意を、1+1=1日本語と西洋の旋律を融合しどこにもなかった新しい音楽を生み出すと、表現しています。

制約があるからこそ、少ないことばに思いを込めることで新たな深い味わいが出ます。これを、由紀さんは体現していると秋岡陽さん(音楽理論と歴史を研究)は言っていました。

名曲「スタンド・バイ・ミー」で名高いソウルシンガーのベン・E.キングさんは、今回由紀さんが歌った「パフ」を聴いて「信じられない。みんなが知っている曲だよ、とても良かった。穏やかで英語だともっとテンポが速いし押しが強い、彼女は元の曲よりも誠実に穏やかなイメージを伝えている」と感想を述べていました。

母音の力

音声心理学が専門の重野純さんは、由紀さんの言葉の発音、特に母音の使い方に注目しました。日本語は英語などと比べて母音が多く使用されます。

例えばアイ・ラブ・ユーという英語には母音が3つ含まれています。日本語で、同じ意味を伝えようとすると母音の数は15個にもなります。

由紀さんは日本語特有の母音の強弱や抑揚を表情豊かにコントロールし、日本語が分からない人たちにも細やかな感情を伝えているのではと重野さんは言います。

「長く延ばされた母音の中に、いろいろなものが含まれていて、感情や思い入れ、由紀さんの考える美しさや悲しみなどが、日本語の歌にしたことによってより直接的に伝わっていったのではないでしょうか」と重野さんは言っていました。

由紀さおりさんの歌声の秘密

由紀さんの母音の音質を分析してみると、フォルマントと呼ばれる声の響き音質を表す周波数の帯の本数が由紀さんは7本から8本もあるそうです。一般的な日本人の2倍近くになるといいます。

音声学が専門の筑波大学名誉教授・城生佰太郎(はくたろう)さんは、「フォルマントの本数が多いことは極めて多種多様な共鳴音を含んでいますという意味ですから、豊かな声ということになり、楽器の種類にたとえるならばピアノを核として、そこに管楽器、弦楽器、打楽器がつながってオーケストラになり、もっと感激する、そういうことになります。」と言います。

由紀さおりさんの言葉

由紀さんの歌声は、長年童謡を歌い続ける中で日本語一つ一つと真摯に向き合ってきたからこそ磨き上げられてきました。

「ちいさい秋は、季節の移ろいです。夏から秋にいくときに秋のささやかな変化を表しています。虫の音がある日、突然夕方になると鈴虫が鳴いていたり、気がつくとちょっと夜出かけるにはTシャツじゃ肌寒くてセーターを持っていこうかしらって思ったり、八百屋さんに行ったらクリとか柿など秋の味覚が出ていたり、いつも自分が通ってる道をぱっと見るとイチョウや紅葉が少しずつ色づいていたりします。そういうことにふっと気づくことがちいさい秋だと思って歌っています。それを自分の言葉の響きの中で、日本人の歌い手として母国語を歌うというのが私の歌だと思っています」

世界を魅了する日本の歌謡曲、アーサー・ビナードさん(詩人)の話

由紀さおりさんの歌ってる世界は、別に日本語に限定されたものじゃないし、日本語に依存してるわけでもないんです。

ちいさい秋の話がありましたが、そのことばの向こうにある世界を歌ってるんですね。そのことばの向こうにある世界を日本語で表現する、そうすると、それが広がって、聴いてる人にも見えてきますよね。

うまく日本語で表現すれば、別に日本語が分からなくても、その現象は分かるし、その表現の広がりも出てきます。たぶん、由紀さんは、日本語を使ってるんだけど、日本語の中で作品を作ってるわけじゃなくて、大きな広がりを持った、ことばの向こうにある対象物を見つめて表現します。そうすると、アメリカ人もそれが見えてきます。

それが見えたら、そこで歌い手と聴き手が、その時間の中で、その海の景色ならその中でつながって、それが歌、それが芸術、それが詩っていうもので、日本語だからとか、英語だからとかいうものではなくなります。

アメリカに行って、アメリカでヒット出そうって頑張ってた方々は、たぶん、アメリカ人を見てたんですね。アメリカの人たちは、別にアメリカに限らず、みんな、自分たちを見つめる人が欲しいんじゃなくて、ちいさい秋を手渡してくれる人が欲しいわけで、その方がずっと魅力的で、歌い手と聴き手の関係も深まると思います。

(アメリカは)ものすごくいいものだったら受け取るんですね。由紀さんのこのアルバムがヒットしてるって聞いたときに、僕は1958年に発表された「ボラーレ」っていう歌を思い出しました。

これは1959年のグラミー賞の最優秀アルバムと、あとソングも取りました。イタリア語の歌で、アメリカ人には分からないです。しかし、僕のおじいちゃん、おばあちゃんも分からずに聴いていました。

でも、ボラーレは飛ぶことです。それでNel blu, dipinto di bluという、その青空、また青空を重ねて歌っている。彼が持ってる表現力を全部そこに注ぎ込み、無邪気に心を全部それに注ぎ込んで、それで青空が見えてきて、青空が見えたらもうグラミー賞に決まってるんですよね。由紀さんもそういう、同じような方向で同じような歌い方なんじゃないかなって気がします。

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Author:Tomoko Ishikawa Valid HTML5 Valid CSS

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更新日:2018/06/07