閑谷学校(しずたにがっこう)
閑谷学校は、岡山県の東部にある備前市にあり、国道2号線から北へ約4キロの距離にあります。秋は、講堂の東、孔子の聖廟前に植えられた楷の木の紅葉が見事です。 そのために、夜のライトアップと特別な行事が催されました。今年は終了したので、来年の参考にしてください。
閑谷学校楽天 は、江戸時代に岡山藩が庶民のこどもの教育のために作った学校です。
2010年1月4日、「読初の儀」
1月4日講堂で、孔子の「論語」を朗唱する年頭行事が行われました。「読初の儀よみはじめのぎ」が行われ、県立和気閑谷高校生や備前緑陽高校生や市民ら約200人が参加しました。
参加者は聖廟の孔子像に拝礼した後、寒い講堂の床板に座り、論語約500章の中の「学び」をテーマにした、学習に取り組む姿勢の違いで、他の人との差が生まれることを説いた章など4章を講師役の日笠紘氏が読み上げると、参加者が背筋を伸ばし大きな声で朗唱しました。
2009年3月14日・15日、「観梅の会」
国史跡・閑谷学校で、3月14日・15日の両日、施設内の梅を楽しむ「観梅の会」が開かれます。白梅、紅梅が約50本あり、鑑賞は無料です。
当日の午前10時、午後1時から約40分かけて史跡を取り囲む石塀にそって歩く梅ウォークが行われます。ガイド付です。
聖廟に納められている孔子(儒学の祖)像の特別公開もあります。
ウォーク参加など史跡への入場は、大人300円、小・中学生100円、65歳以上120円の見学料となります。
問い合わせ先:特別史跡旧閑谷学校顕彰保存会 0869-67-1427
2008年の閑谷学校のライトアップ行事
2008年の閑谷学校のライトアップ行事
2008.11.8(土)~11.16(日) 18.00~20.00 大人400円、65歳以上・小・中学生150円
ステージ公演と物産販売
ソプラノ独唱、備前陣太鼓、オカリナ演奏、ギター・マンドリン演奏、尺八・箏・三弦の演奏、日舞・民踊、銭太鼓・傘踊り、詩吟・剣舞、新舞踊、けん玉など多種多様な公演がありました。
上の写真の左の建物が講堂です。学問をする場所です。右の木が楷の木で重なって写っていますが、2本あります。樹齢約90年で雌木が2本だそうです。どういうわけか知りませんが、左側が赤く、右側が黄色く紅葉するのです。その対比が美しく、また山々の緑を背景にして紅葉が映えるのです。
閑谷学校の歴史
閑谷学校の歴史を少し紹介します。
閑谷学校は、江戸時代に岡山藩が庶民のこどもの教育のために作った学校です。国指定の特別史跡で講堂は国宝、その他の建物は国の重要文化財です。
1666年、岡山藩主池田光政が和気郡木谷村を訪れ学校の設置を決めたそうです。
1668年、和気郡手習所が木谷村延原におかれました。(領内123カ所の郡中手習所の1つとして)池田光政は、閑静で学習に好適な木谷村に大規模な学校の設立を計画しました。
1670年、学校奉行・津田永忠に学校建設を命じ、地名を閑谷と改称しました。
1675年、郡中手習所は廃止され閑谷に統合されました。
1701年、工事完了(聖廟、芳烈祠、講堂など)は、実に着工から32年、岡山藩主池田光政の死後20年となっています。
生徒は、庶民のこどもを主とし、家中武士の子、他領の者も含まれていました。約60人前後でした。
学風は朱子学で、教授では、有吉和介が最も長くつとめました。
収入は学田、学校林を持ち、学田を作人に預け作ってもらいその収入で学校財政をまかなったそうです。
1870年(明治3年)、廃藩置県を前にして、藩校・岡山学校に合併され、閑谷学校は閉校されました。
こうしてみると、約200年の間、優秀なこども達を集めて学問を授けていたのですね。池田光政公は、人材の大切さを重視していた名君だったのでしょうね。
「教育県岡山」と呼ばれていた時期もありましたが、今では残念ながら陰が薄い状態です。ここらで、挽回したいところですが、一朝一夕にいくものではありませんから、池田光政公に見習って計画を立てて、信念で実行するしかないと思います。