植物
植物は静かで、そこにいて美しい花を咲かせて癒してくれるので好きです。花はそれぞれに美しく、人間もそれぞれに十人十色で美しいのだと、思わせてくれます。
日本には四季があり、その季節季節の美しい花々を見ることができて幸せだと思います。
四季を楽しむためにも、植物を育てたいと思います。綺麗な花が咲いたら増やして、友達に分けてあげられるようになりたいものです。
手間なしで育つ植物
日本の環境で、昔からあった植物などには手間なしで育つ植物も多いようです。また、輸入された 植物楽天 の中にも手間なしで育つ植物もあります。
まずは、手間なしで育つ植物の中で、美しい花が咲く物から育てたいですね。よくばりかな。
季節ごとの花たち
四季を感じさせる花、春は桜、夏はひまわり、秋はコスモス、冬は椿を即座に思い浮かべます。
四季の花を愛でることは、一年を感動的に過ごせると思います。自分で育てると愛情もわくし、楽しみでもあります。
小菊を育てたいと思っています。長持ちするし、お墓参りにも使えるしで、いいことだらけのようです。種類もたくさんありそうですね。
植物学者・牧野富太郎博士
植物学者・牧野富太郎博士は、現在の高知県高岡郡佐川町に一人息子として生まれました。生家は酒造と雑貨を営む裕福な商家でしたが、3歳で父、5歳で母、6歳で祖父を亡くし、祖母に育てられました。
14歳の頃から植物に興味を持ち、植物採集をし本で名前を覚えました。
20歳で本格的に植物の研究を始めました。
命名は2500種以上で、新種1000、新変種1500と言われています。自らの新種発見も600種余りだそうです。ムジナモ、センダイヤザクラ、トサトラフタケ、ヨコグラツクバネ、アオテンナンショウ、コオロギラン、スエコザサ(妻の壽衛子の名前を入れたそうです。)
40歳~50歳代には、経済的に苦しかったようです。子どもは13人生まれ、育ったのは7人と言われます。66歳の時に妻の壽衛子(すえこ)を54歳で亡くしました。その後は、支援者が現れて本も出せました。94歳で亡くなるまでに、たくさんの本を刊行しました。
86歳の時に皇居に参内し、昭和天皇に植物学の御進講をしました。94歳の時に風邪をこじらせて寝込んでいた時に、昭和天皇からお見舞いのアイスクリームが届いたそうです。昭和天皇も植物に詳しかったです。「雑草という植物はない。どんな草にも名前がある」というお言葉が有名ですね。
幼い時に、次々と肉親を亡くし寂しい思いをする中で、祖母の愛情に恵まれて育ちました。好きな植物の研究一筋に打ち込みましたが、学歴もなく、金銭感覚も乏しかったようで、経済的に困窮する時期もあったし、研究でも恵まれない状況が多々あったことでしょう。奥様も料亭をして家計を助けられたそうです。
しかし、94歳と長生きされる中で、78歳で牧野富太郎の研究の集大成と言われている「牧野日本植物図鑑」を刊行できたことは、本当に良かったですし、日本の宝ができました。没後に文化勲章を貰われました。
牧野富太郎博士の主な著書など
1900年(38歳)・・・「大日本植物志」刊行、四巻で中断
1926年(64歳)・・・「植物研究雑誌」3号で休刊するも、現在ツムラの協力により継続
1927年(65歳)・・・東京帝国大学から理学博士号を受けた
1940年(78歳)・・・「牧野日本植物図鑑」を刊行、牧野富太郎の研究の集大成と言われている
1956年(94歳)・・・「植物学九十年」「牧野富太郎自叙伝」を刊行