山野文学賞入選随筆2015
矢掛町山野文学賞は、故山野金太郎氏の遺志に基づき、創作活動の発表の場として平成3年に発足したものです。平成26年度は、矢掛町山野文学賞作品集第14作が刊行され、そこに私の随筆も掲載されました。父の形見のワニ革の小銭入れが破れたことから、父の思い出が次々に浮かんで来ました。
父の小銭入れ
一ヶ月程前にスーパーのレジで小銭を出そうとしたら、 ワニ革楽天 の小銭入れの底が真横に裂けて百円玉が落ちそうになった。私はあわてて穴を指でふさいだ。
早速小銭入れを買わなくてはと、買い物リストに加えた。小銭入れに頼りすぎていたからすぐに必要だった。
この小銭入れは、父が五十五歳で亡くなった二年後ぐらいに母から
「これは、お父さんが使ようたもんじゃけえど、ワニ革でええ品だし、まだ新しいけえ使うたら」と、手渡された物だった。
その時、私は三十歳前でワニ革などに興味はなく、むしろ爬虫類は気持ち悪いと思った。が、父の愛用した物、形見の品として受け取り、長らく引き出し等にしまっていた。
この小銭入れを思い出したのは、五十歳代後半の頃で、ワニ革にも抵抗が無くなっていた。手のひらに乗る大きさで、ファスナーがコの字型についていて大きく開き、中がよく見える。中央にしきりがあり、片方に五百円・百円・五十円玉を入れ、もう一方に十円・五円・一円玉を入れた。こうすると、小銭が素速く出せた。
使い込んだワニ革は、艶がよく柔らかく手によくなじんでいる。ファスナーはすべりが良くスイスイ開けられる。しかし、底が抜けてはおしまいである。
私が五年は使ったと思われる。父は何年ぐらい使ったのであろうか、どこで買ったのであろうか、今となっては分からない。
父とお金についての思い出があった。私が中学生か高校生の頃のことだった。父は何かの団体旅行へ行く予定だったらしい。旅の前夜、私に尋ねてきた。
「智ちゃん、明日から旅行に行くんじゃけえど、ちょっと小遣いが足らん気がするけえ、お年玉を少し貸してえ。帰ったらすぐ返すけえ」と、小声で話した。
「ええよ」
父が旅行に行くと、母と祖母が聞いてきた。
「もう、子供にお金を借りてまで旅行がしたいんかなあ」
「そねえにしてまで、行かんでもええんじゃあ」
私は、「返してくれる言うたけえ、ええが」と、言っておいた。実際、父はすぐに返してくれたし、おみやげも買って来てくれた。
その頃は、キャッシュコーナーもなく、現金をすぐに用意することは難しい時代だった。
家族にひんしゅくを買いながらも、いろんな所へ旅していた父。私が夏のボーナスセールでの商店街の抽選会で一泊の 温泉楽天 への旅行を当てた時も、喜んで参加していた。
そんな父は、父が小学六年生の時リウマチ熱にかかり心臓弁膜症になった。その後、かかりつけ医から言われたそうだ。
「貴方の心臓はヒビ割れ茶碗と同じだから、大事にすれば長持ちするけれど、無茶をするといっぺんに壊れますよ」
母もそんな父の様子を見て、娘二人が高校を卒業する日まで、父が生きているかどうかわからないと覚悟していたと、後々話してくれた。
父の仕事は農業だったが、病気のせいで体力仕事は苦手であった。その病弱な父の分も母と祖母の二人で頑張っていた。
しかし、父は何もしなかったわけではない。私が小さい頃は、馬喰(ばくろう)として県北の千屋辺りまで行っていたそうだ。
その後は鶏を飼った。「千羽養鶏」を目指していると、父から何度も聞かされていて今でも覚えている。また、アメリカへ輸出するカナリアを飼ったこともある。白・だいだい・黄・朱・巻き毛といろんな種類がいた。
作物では、スイカ、抑制キュウリ・い草を出荷した。最後には、い草を織り畳表も製造し、福山市の備後畳の市場へ出していた。早朝四時に起きて、軽トラック一杯の畳表を運ぶのは父の役目だった。運転距離が長く、冬の寒い時期には父の体にこたえたと思う。
新しい仕事を始める段取りは、全て父の仕事だった。畳の織機の調達から福山市の市場へ出荷できるようにするなど、いろんな交渉をやり抜かねばならない。
父はお茶が好きで、玄関先で友人とお茶を飲みながら長話をすることが多かった。家族には飽きられる一方で、いろんな人と話す中で、次は何で儲けようかとアンテナを張っていたのかもしれない。
少々早く亡くなった父だが、生前あちこちと旅行して楽しんでいてくれた。そのことが、何の親孝行も恩返しもしていないという私の負い目を減らし、心を軽くしてくれていることに感謝したい。
そして、病弱にもかかわらず、娘二人が成人し就職するまで見守ってくれたことにも感謝したい。
私も今年六十三歳となり、父の享年を八年も超えた。だが、「娘二人だが家を何とか継続してほしい」という父の願いは果たせずにいて、心苦しいのではあるが。
二千十四年、父の想像を超える時代となっている。IT化が進み便利になったが、人と人との繋がりは希薄になったと思う。機械化が進み時間が余るはずなのに、忙しない。
少子高齢化社会を迎え、田舎でも空き家が増えている。そして先祖伝来の田畑を守ることも困難な時代となっている。
日本は、世界の中でも先進国となり平和を維持している。しかし、経済力は陰りをみせている。そんな中でも、戦後私達が育ってきた貧しくとも心豊かだった時代の気持ちを失わないように伝えていきたいと思う。
父の形見のワニ革の小銭入れも、底が破れれば、私以外の人にはただのゴミとなる。
今、断捨離・就活などが流行っている。後に続く人のためにも、小さな物も片付けなくてはと思う。
「長いあいだ。私の小銭を守ってくれてありがとう」と、ワニ革小銭入れ君へ伝えたい。
平成27年2月、矢掛町教育委員会発行の平成26年度 矢掛町山野文学賞作品集「矢掛町の文学」に掲載